ろむさんの考えごと

わたしの思考の運動場です たくさん考えたい人向け

変化を「コンテンツ」として消費する人たち ―ナフサ不足を考える1―

 

 

1.コンテンツとして消費される「揺れ」

ニュースで、「ポテトチップスの袋がモノクロ化する」と報じられていた。

ナフサ不足によって、包装資材やインクの供給が不安定になっているらしい。

インクに左右されず商品を安定供給するための工夫としての発表だと思う。

 

少し前の時代なら、

こういう話はもっと切実な空気で受け止められていたのかもしれない。

けれど、私の頭に最初に浮かんだのは、別の光景だった。

 

「最後のカラーパッケージ」を保存する人。

新旧を並べて比較動画を撮る人。

「レトロで逆にかわいい」とSNSに投稿する人。

 

きっと、そういう動画や写真が大量に流れてくる。

現代の私たちは、世界の揺れをまず“コンテンツ”として机の上に置く癖がある。

不安や違和感を、一度「ネタ」として眺め直してみる。

それは深刻さから目を逸らしているというより、

変化の大きさをすぐには飲み込めない時代の反応なのかもしれない。

 

また、SNSのように拡散を狙わずとも、

カラー最後パッケージには転売やコレクションを目的とするような、

買い占めが起こるだろうし、

モノクロパッケージには目新しさのために、店頭に殺到する人たちも、

簡単に想像できるだろう。

 

2.「イベント」と「前兆」のあいだ

けれど同じモノクロの袋を見ても、まったく違う感覚を抱く人たちもいる。

 

かつての物不足を知る世代。

あるいは、震災のあと、店の棚から当たり前の商品が消えていく光景を、

あの日、言葉を失って見つめていた人たちだ。

 

そうした人にとって、包装の簡略化や色数の削減は、

単なるデザイン変更ではない。

 

社会を支える物流や供給のバランスが、少しずつ揺れ始めている“兆候”として映る。

生活を包んでいた平穏が、端の方から音を立てずに剥がれていく感覚。

 

ある人には「イベント」に見え、 ある人には「前兆」に見える。

 

その温度差には、今の社会の空気がよく表れている気がする。

今回のニュースは、そうした前兆と捉える人たちには不安の種となっただろう。

 

3.袋の破れ方と、失われた色彩

今回のニュースを見ながら、

私は昔アメリカ旅行で買ったポテトチップスの袋のことを思い出していた。

 

向こうのお菓子の袋は、日本よりずっと大雑把だった。

印刷は少しズレていて、袋は思わぬ方向に裂けていく。

「ここから開ける」と書いてあっても、その意思を無視するように横へ破れ、

中身が勢いよく飛び出すこともある。

 

当時は、その雑さに戸惑ったけれど、

同時に、日本の包装がどれほど特殊なのかも実感した。

 

きれいに切れること。 湿気にくいこと。 最後まで食べやすいこと。

 

日本の袋は、人がどう持ち、どう開け、どう保存するかを、

異様なほど先回りして作られていた。

 

それは単なる“包装技術”ではなく、

生活の小さなストレスを減らすための、

静かな配慮の積み重ねだったのだと思う。

 

4.包まれた社会の、その先へ

だから今回のモノクロ化も、単なるデザイン変更には見えない。

色が減る。 装飾が削られる。

そのとき私たちは、初めて気づくのかもしれない。

自分たちが、どれほど丁寧に、快適に、

“包まれた社会”の中で暮らしていたのかということに。

モノクロの袋を手に取ったとき、

私たちはそれを「新しいデザイン」として楽しむのだろうか。

 

それとも、そこから静かに削られ始めた“豊かな色彩”を、

どこかで感じ取るのだろうか。

 

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